116. 荒川亮太の道のり〜第6話〜
2022年08月22日
今回から海外に行ったお話しをさせて頂きます。
まず語学を学ぶことも兼ねて1ヶ月フィリピンにいきます。
飛行機自体も幼稚園くらいに乗ったことあるくらいで、めちゃくちゃ緊張したのを覚えています。
フィリピンのセブ島なので、めちゃくちゃ綺麗なホテルでビーチがある所で1ヶ月学べると思っていました。
しかし空港を降りて、ホテルまで車で移動していく道中の風景を見て、とにかく街が汚く、海も全然綺麗じゃなく、段々と不安が込み上げてきました。
実際にホテルに着いて、愕然としました。リゾート感は全くなく、エアコンもない、消防学校よりも酷い環境でした。
心底1日目にして帰りたいと思いました。
お金を払って、今よりも悪い環境に行く。自分でもよう分からんことやってるなと来た当初は思いました。
道のインフラも整備されてなく、ずっとクラクションが鳴りっぱなしだし、すぐ近くの川はめちゃくちゃ臭いし、衝撃的だったのが、その臭い川沿いに住んでる人がいっぱいいました。
夜も寝汗でシーツがベタベタになるのですが、3日に1回ぐらいしか変えてもらえない。
本当に帰国する日までのカウントダウンを初日から続けていました。
それでも授業が休みの日があるので、一人でふらふらと出かけたりしました。
日本だとどこに行ってもほとんど整備されていますがフィリピンは発展している所もあれば、すごい凸凹の道もあり、環境の差が激しかったです。
中心街に出れば高級ビルやショッピングセンターもあり、そこだけ見ると名古屋とあまり変わりません。
電車はなく移動はタクシーやジプニー?といったバスになります。値段が凄く安いので、ほとんどタクシーを使っていた記憶があります。
タクシーに乗っている時一度凄い渋滞に巻き込まれた時、急にドアをノックされて、お金を下さいみたいこと一度ありました。小さい子供が歩けないみたいなことを言っていたと思います。日本にいる時に絶対にお金をあげてはいけないと言われていたので、無視していましたが、現地タクシードライバーはすぐにお金をあげていました。
あげるんだと思って、その親子をずっと見ていると、子供を降ろして一緒に歩いていきました。本当にこんなことあるんだと今でも鮮明に覚えています。
生まれる場所が、日本とフィリピンで同じ人間でも全く違う生き方になるなと痛感させられました。でもフィリピンの英語の先生達は僕らと以上にいつも笑っていた記憶があります。
授業中もそうですが、終わったら駐車上で踊ったり、音楽聞いたり、本当に陽気な印象があります。時間があったせいもありますが、色々と考えさせられました。
現地の先生でお金を貯めて、アメリカに留学して家族を支えたいと言った女性がいました。僕も調子に乗って日本に帰ったらプレジデントになると言っていました。お互いに将来こうなりたいって話をよく授業中でもしていた記憶があります。帰国の際 I LOVE CEBU と書いたキーホルダーを頂きました。その裏に reach your dream とメッセージが書かれていました。めちゃくちゃダサいキーホルダーなのですが、僕自身の中で一番大切なキーホルダーです。
少しずつ環境に慣れてきましたが、それでもとにかく早く日本に帰りたかった。
帰国の日が近づいてくるたびに少しずつテンションが上がっていきます。
そして帰国の日、セブの空港に着いた時、1年ぶりぐらいの感覚でした。笑
そして飛行機で日本の上空を飛んでいる時、嬉しすぎて涙が出そうでした。
帰りセントレアから自宅まで高速道路で帰ったのですが、未来にタイムスリップしたような感覚でした。車ってこんなにスピード出せるんだと思ったのを覚えています。
このフィリピンの経験は自分の中でも凄く良かったと思います。全く違う環境を経験することで、自分の気持ち、考え方が変わったと思います。
次回はこの後に行ったオーストラリアでのお話しをさせて頂きます。