111. 荒川亮太の道のり〜第1話〜
2022年08月05日
今度は私の自己紹介を兼ねてどのような人生を歩んできたお話ししたいと思います。
あまり自分を表現するのは得意ではないですが、これもチャレンジと考えて自分の人生を振り返りながら、できる限り背伸びせず素直に書かせせて頂きます。
学生時代は野球の思い出がほとんどですが、野球無くして自分の人生は語れないのでご容赦下さいませ。
中学校からのお話しから始めさせて頂きます。
中学は名古屋市にある普通の公立中学校に通っておりました。
小学校から野球をやっていたので、中学校では野球部に入部しました。
この中学の野球部が今振り返ると高校・大学よりも練習が一番しんどかったかもしれません。
休みもあまりなく、何よりも部員の人数が少ないので上手いこと気を抜けない。笑
これが一番キツいです。
中学校の時は練習をしていても、なんのためにやっているかよく分からないので完全にやらされている練習でした。
中学校はもう20年以上も前なので記憶が消えつつあるのですが、一番記憶に残っているのが、平和公園の練習です。
半日ちょっとボールを触らず徹底的に体をいじめ抜く、冬のトレーニングです。
今振り返ると4時間くらいの練習ですが、10時間くらいぶっ通しでやっていた感覚です。
体がまだできていない影響もあったか分かりませんが、練習の最後の方はフラフラで倒れそうでした。
練習もキツいことに加えて顧問の先生がめちゃくちゃ怖い。
高校・大学含めて間違いなく一番怒られましたし、一番怖かったです。
ピッチャーをやっていたのですが、ボールが続いてフォアボールになると先生の方を見て、顔色を伺ってました。フォアボールが続くとベンチに帰りたくないくらいにびびっちゃってました。笑
そしてこんなに練習したのにそこまで強くなれないという悲しさ。。。
これはピッチャーであった自分の責任もかなりありますが、中々勝ち上がれない強いチームに中々勝てなかった記憶があります。
今振り返るとチームを引っ張る意識や、自分がチームを勝たせるんだという気持ちが全くなかった気がします。自分は引っ張っていくタイプではないですが、チームの中心の自覚は全くなかったです。これが中学であまり結果が出なかった要因の一つだったと今振り返ると思います。
凄く厳しい先生でしたが、なんて表現していいか分かりませんが、僕達に愛情がありました。高校の進路相談や高校の体験練習も同行してくれました。見ず知らずの高校の先生に電話して練習に連れて行ってくれる。社会人になって分かるのですが、あまり野球の実績が伴っていない自分に対して中々そこまでやってくれる先生はいないと思います。
夏には自腹で甲子園に連れて行ってくれて、初めての甲子園はめちゃくちゃ感動しました。
あの甲子園を見て、高校で野球をやりたいと強く思ったのを覚えています。
めちゃくちゃ怖くて、厳しかったですが本当に熱心な先生で、自分の人生を良い方向に向けてくれたと強く思います。
思い出すのは野球のことばかりですが、最後に受験勉強は自分の人生においても凄く自信になったことでもあります。
夏の学力では志望校にはいけないので、べらぼうに高くはないのですが、少し成績をあげないといけなかったのでちょっとだけ勉強しました。
自分よりも少し高いハードルを超えると自信がつくことをこの時は全くわかっていませんでしたが、受験勉強を経験することで、なんとなく自分はできるなと根拠のない自信をつけてくれたのだと今振り返ると思います。
ここで志望校に受かることで、自分の人生において凄く影響を与えてくれた高校生活を歩むことができました。
次回は高校の話をさせて頂きます。